5行でわかる日本の同性愛の歴史


2013101910284747e

今日は日本の同性愛の歴史について解説します。

・・・と言っても、ダラダラとわかりにくく解説した書籍やサイトはいくらでもあります。
そこで私は『たった5行で』日本の同性愛の歴史を説明しようと思います。



5行でわかる日本の同性愛の歴史

1.おつとめの一環として稚児が坊さんとやってた平安時代

2.武士のたしなみとして戦国大名が小姓とやってた戦国時代

3.『衆道』が庶民にもかなり広まった江戸時代

4.西洋文明の影響で同性愛が異常とされた明治~昭和

5.ようやく同性愛が異常ではないと認められはじめた平成

 

以上!5行でわかる日本の同性愛の歴史でした。
もうちょっと詳しく知りたいという方のために、以下に簡単に解説を書いていきます。

 

もうちょっと詳しく同性愛の歴史を解説

1.おつとめの一環として稚児が坊さんとやってた平安時代

古今東西、同性愛はどこにでも存在します。もちろん、日本でも大昔から同性愛は存在しました。

例えば、平安時代の貴族は自分の妻の兄弟と肉体関係になることが多かったそうです。
ですが、この時代にもっとも同性愛がさかんだったのは仏教界です。

寺院には雑用や坊さんの身の回りの世話をする稚児と呼ばれる少年たちがいました。
彼らが坊さんの夜のお世話もしていたようです。

天台宗の開祖・最澄も同性愛者でした。

 

2.武士のたしなみとして戦国大名が小姓とやってた戦国時代

武士の時代には女性の地位が低く、時には女性は縁起の悪い物とされました。
そこで戦の前や、戦地では、小姓と呼ばれる少年たちが武将たちの相手を務めました。

有名どころでは織田信長、武田信玄、上杉謙信らも小姓を愛でていたそうです。
武将と小姓の肉体関係は主従関係や忠義の延長線上にあるものと解釈されていました。

また、歌舞伎や能の世界でも同性愛はさかんでした。
能役者の世阿弥は少年時代、足利義教の寵愛を受けていたそうです。

 

3.『衆道』が庶民にもかなり広まった江戸時代

江戸時代には同性愛は『衆道』『男色』と呼ばれ、一般武士や町人にまで広まりました。

江戸時代になると、社会が繁栄し、庶民が力をつけてきたことにより、セックス産業が娯楽として広まってきました。
『陰間茶屋』と呼ばれる13~20歳ぐらいの少年が性を売る店もたくさんできました。

ここまで『同性愛』という言葉を普通に使ってきましたが、江戸時代までの日本にはそもそも『愛』という概念がありませんでした。同性間でも異性間でも、上の者が性処理の対象として、下の者を愛でるという関係が普通だったようです。

 

4.西洋文明の影響で同性愛が異常とされた明治~昭和

キリスト教では同性愛は禁止されています。
宣教師のザビエルやフロイス、キリスト教徒だった新渡戸稲造も「日本の文化や道徳はすばらしいが、同性愛だけは許せん!」と言っています。

そのキリスト教を基盤とする西洋文明や科学が入ってきたことによって、日本でも次第に同性愛は異常で背徳的な行為と見なされるようになりました。

また女性を遠ざけようとする武家社会が消滅したことも、同性愛が下火になった原因のひとつです。

戦後になって、少しずつ同性愛は認知されはじめますが、それでも異常視する考えが主流でした。

 

5.ようやく同性愛が異常ではないと認められはじめた平成

1993年にWHO(世界保健機構)が「同性愛は治療の対象ではない」、つまり、異常ではないと認めました。
科学的に同性愛が認められたのです。

文部省は「同性愛は倒錯的性非行である」として指導の対象としていましたが、1993年以降は指導の対象ではないとしました。

時代が進むにつれて、世論も同性愛に対して次第に寛大になってきています。

アメリカの調査期間によると、日本人の約54%が「同性愛は社会的に許容されるべき」と答えています。(アメリカは60%、フランスは77%、もっとも高いのはスペインで88%)


2016年8月より、当ブログの運営・執筆はLGBTサークル『CBM』に移管されました。

当ブログについて説明はこちらをお読みください。