信教の自由と同性愛差別


sinnkyou

同性婚合法化の流れが広がるアメリカで、『信教の自由』を拡大解釈して同性愛者を排除しようという動きが起っているそうです。

http://www.asahi.com/articles/ASH44363BH44UHBI005.html

いやいや・・・そもそも他人を「差別する自由」なんてありません。



自由権と差別

そもそも自由権には「差別する自由」は含まれていません。

「オレは黒人が嫌い。だから、黒人を差別する。オレの自由だろ?」
こんな理屈は通用しませんよね?

なぜなら、相手も一人の尊厳ある人間なのですから。
相手も自由権をもっているのですから。

誰かの権利や、安全、精神的な安定を脅かすような自由は近代国家では認められません。

「キリスト教では同性愛がタブーである。
私には信教の自由があるのだから、同性愛者を私の周りから排除してほしい」

そんな自由は認められません。
それは他者の人権を侵害しているからです。

 

キリスト保守派

キリスト教は長い間、同性愛を禁止してきました。

その流れもここ最近では大きく変わろうとしていますが、やはり宗教界は一朝一夕には変わりません。
(そもそも宗教そのものが保守的な存在なので)

世界各地で同性愛容認の動きが起るたびに、真っ先に反対するのは宗教界です。
保守政治家は宗教保守勢力を支持基盤にしている人も多いので、そういった声に後押しされる形で同性愛容認に待ったをかける政治家もいます。

しかし、宗教だろうが、保守だろうが、なんだろうが、他者の尊厳をふみにじったり、マイノリティを公然と差別したり、他者の人権を侵害することは許されません。
神の名の下に差別を助長するのは、神への冒涜ですらあると思うのです。

 

余談

こんなことを書いていると、「この記事の筆者は宗教(特にキリスト教)に批判的だ」・・・と思われるかもしれませんが、それは大きな間違いです。
むしろ宗教についてはとても寛容です。
人はそもそも宗教的な存在だと思っています。

ただ、宗教の名の下に同性愛者を弾圧したり、否定したりするには反対、という立場です。

 

<キリスト教と同性愛については他にもこんな記事↓もあります>

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